保守雑誌感想文【2019年7月】
平素より大変お世話になっております。
はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」をやらせていただいております、ノロい人と申します。
早速ではございますが、今回のエントリも月に一度の保守雑誌感想文となります。
最後までお付き合いいただけましたら、幸いでございます。
命は吾より作す(特集より)
松下幸之助氏の訓示
「命は吾より作す」とは、運命は自分が作る、という意味になります。自分の道を自ら切り開いてきた人はみな、命は吾より作してきた人といえるでしょう。
十歳で丁稚奉公に入り、一代で大企業グループを創った松下幸之助氏は、その最たる存在です。
とある年の入社式で、松下氏は次の二つのことを守り通したら、松下電器の重役になれると訓示したといいます。
- いい会社に入ったと思い続ける。
- 社会人になってお金が一番大事と思わない。
1つめについては、松下電器に限らず、入社したばかりの新入社員たちはそう思うでしょう(違う場合も往々にしてあるでしょうネ)。しかしながら、クソな上司に当たったり、意に沿わない仕事をさせられてもなお、いい会社に入ったと思えるかどうかはスゴく大切なことなのだそうです(う~ん、ここで僕は脱落しそうだ)。
2つめは、確かにお金は大切だけれども、なくしても取り戻せるものなのだそうです(本当に?)。しかし、信用は失うと取り戻すのに大変苦労するものだから、大切にしなければいけない、ということなのです(そもそも、現在進行形で信用を得てる人間なんて世の中に大していないぞ、総理大臣をはじめ自由民主党の連中を見てみろ)。
人間を磨き、自分の命を創造するには
「人間が浅はかで無力だと、いわゆる“宿命”になる。人間が本当に磨かれてくると“運命”になる。即ち、自分で自分の“命”を創造することができるようになる。それを”命は吾より作す”という」
これは安岡正篤師の「命」についての言葉です。
では、どうすれば人間を磨き、自分の命を創造できるのでしょうか。古来より、多くの先哲がそのヒントとなる金言を残してきました。
1つめは、人の生くるや直し―『論語』
人が生きていく上でもっとも大事なものは、素直であることだ、と孔子は教えています。心が歪んでいたり、ねじ曲がっていたりすると、人間性も個性も発揮することはできません。性格が歪んだ人は人生も歪みます。孔子が素直を重んじた所以です。
(僕みたいに、心が歪んでいたり、ねじ曲がっていて悪かったな、余計なお世話だよ、とフテクサレてはいけません)
次は、性を尽くして以て命に至る―『易経』
ここでいう「性」は天から授かったもの、持って生まれた能力のことを意味します。それを発揮し尽くして天命に至ることができる、というのです。これは命は吾より作す上で欠かすことのできない条件いえます。
(う~ん、たとえば、犬だったら、麻薬犬とか盲導犬みたいに天から授かった持って生まれた能力を発揮し尽くさなきゃイケないってこと?僕だったら、靴をカジって飼い主に叱られてるだけのような何の能力のない飼い犬の生き方のほうが幸せそうに見えるけどナァ…叱られるのはイヤだけどさ。これって屁理屈?)
最後は、趙州禅師の話です。
弟子が名僧と言われた趙州に、「大困難がきたらどうしますか」と問いました。趙州はひと言「恰好」と答えました。恰好とは「よしきた」の意味です。人生における「まさか」にヘナヘナとなってはいけないのです。「よしきた」と応じる、その姿勢こそ吾より命を作す根幹となります。
(まぁ、ピンチはチャンス?っていうけどさ、やっぱりピンチはピンチだよ。そこにあるのはピンチを切り抜けるチャンスだけだよ)
かくてトヨタ生産方式を伝承してきた
元トヨタ自動車技監、林南八氏のインタビュー記事より。
いま心配なのはパワハラだとか言って、「鍛える」という文化が消えちゃってることですね。
林氏が、かつての上司先輩から厳しく指導されたり、後進を厳しく指導してきたことについて。
う~ん(今回は「う~ん」が多い)、でもやっぱりハラスメントって気を付けなきゃいけないと思うんですよ、特に組織に入ってきて間もない新入社員なんかは。
これは、帝京大学ラグビー部監督の岩出氏の受け売りなんですけど、マズローの欲求五段階説のうちの安全の欲求が満たされていないうちに、新入りに厳しくして精神的に負荷をかけることが教えられる側にとってためになるのか、これは一考の余地があります。
林氏や林氏に育てられてきた現在の社長をはじめとする幹部は、たまたま「鍛える」という文化で育った(自動詞)なのかもしれませんが、僕は誰にでも通用する育て方だとは思いません。
受け手の姿勢として求められるのは「なにくそ魂」ですね。「なにくそ、負けてたまるか」って気持ちを持つようになると伸びる。自分の芽は自分で開かなきゃいけないんです。
林氏の考える、上司の指導を受ける際の部下の心構えについて。
「なにくそ魂」、ごめんなさい、僕はこれを持っていないんです…ごめんなさい…
ツイッターか何かで見たんですけど、「なにくそ」って思えるかどうかって、素質だって…
確か、弟子に「なにくそ」って思わせて育てる方法は、”教育”じゃなくて、”見込みのある人間の選抜方法”だって…
あぁ、僕はトヨタで働くのには向いてないんだな…
かけがえのない命と向き合い続けて
一般社団法人下町グリーフサポート響和国代表理事、本郷由美子氏の記事より。
本郷氏は平成13年、大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件で愛娘を失い、翌年グリーフケアと出合い、17年精神対話士の資格を取得しています。現在は、事件や事故の被害者、東日本大震災の被災者や身近な人を亡くした悲しみに寄り添う活動のほか、いのちの重さ・大切さを伝える講演活動に邁進しています。
我々が誤解していること
私が優希を失った後で辛かったのが、同じ事件の被害者として八人の遺族がひと括りにされることでした。
事件に遭っていない僕たちは、どうしても遺族は同じ悲しみを負っていると考えがちですが、遺族同士でもそれぞれ違う心を持った人間ですし、被害者の方の状況も違う訳ですから、悲しみ方、苦しみ方も違い決して一緒くたにはできません。
本郷氏は他の遺族の方が裁判に傍聴に行かれる中、自分だけ行くことができず、思い悩んだり、夫婦の間でも受け止め方の違いを感じてご主人を責めたこともあったといいます。
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加害者に対する思い
いまは犯罪加害者のケアもしています。附属池田小事件の犯人が犯した罪は、決して許されるものではありません。けれどもその生い立ちを知るにつれ、彼もある意味被害者だったのだと思うようになりました。
もし誰かが彼に寄り添い、心の内を受け止めてあげていたら、もしかしたらあの不幸な事件は起きなかったかもしれない。それができない社会が、加害者を生み、被害者を生んでしまっているのではないかという思いもあり、たとえどんな過ちを犯した相手であっても、私は人として向き合い、救える命を救いたい。それがこの事件を通じて私が辿り着いた心の底からの思いなのです。
一時は犯人の極刑を求める署名運動を行っていた本郷氏が、このような考え・思いに至るまでには我々の想像を遙かに超える出来事・葛藤があったことでしょう。
失った命に対するケアだけでなく、犯罪加害者と向き合い、救える命を救うことも自らの役割と語る本郷氏の思いの強さが伝わってきます。
今月号の保守雑誌感想文はここまでにしたいと思います。
最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。
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