保守雑誌感想文【2019年4月】
いつも大変お世話になっております。
はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」をやらせていただいております、ノロい人でございます。
早速ではありますが、今回のエントリも月に一回の保守雑誌感想文になります。
最後までお付き合いいただけましたら、幸いでございます。
運と徳
僕の会社でとっている保守雑誌の2019年4月号のテーマは”運と徳”ということです。東洋の古典は一致して徳と運は相関している、と説いているのだそうですが、僕は個人的に運というものはあくまでも「特定条件の下での確率のばらつき」であって、徳の高い人物であろうが、低い人物であろうが、ばらつき(偶然誤差)を制御することはできないんじゃないのかナァ、なんてひねくれた見方をしてしまいました。
しかしながら、かたより(系統誤差)に関しては徳の高い・低いが関係するのではないかという見方もできるのではないのでしょうか。
ではどうすれば、徳を高めることができるのかということについては、『論語』にヒントがあるといいます。
まずやるべきことをやる。それによってどんな報酬があるかを考えるのは後回しにする。それが徳を高めることになる。自分のよくないところを攻めて、人のよくないところは攻めない。それが自分の中に潜んでいる悪を修めていくことになる。
一方で、徳を高めるには徳を損なう道があることも知っておかなければなりません。『孟子』の言葉に触れておきましょう。
自らを暴(そこな)う者はやけくそになる者。自ら棄つる者は捨て鉢になる者。そのような者とはともに語り、為すことはできないというのだ。自暴自棄になる時、運命は坂道を転げ落ちるように悪くなる。
人間の二つの分かれ道
建築家の隈研吾氏と北海道日本ハムファイターズ監督の栗山英樹氏の対談より。
栗山監督は、苦しい時にそれを不満に思うか、ありがたいと思って乗り越えるか、この二つの違いは大きいと話します。
隈氏も同様に「何でこんなことをやらないといけないのか」と思う人と、「これは自分にとってチャンスになるかもしれない」と思える人とでは、同様の経験をしても全く逆の結果が生まれると言います。
どんな仕事でもそうですが、いいものを作ろうとすると必ずどんな役割の人でも、誰かからうるさいことを言われたり、人と衝突する羽目になったり、勝手な要望を突き付けられたり、トラブル(?)に見舞われるものだと思います。
そのようなときこそ、ネガティブではなくポジティブに、「もしかしたら、これはもっといいものを作り上げるヒントをもらえているのかもしれない」と考えることのできるようになりたいものです。
徳の積み方
一般社団法人大地が教えてくれたこと理事 村上貴仁氏 インタビューより。
徳を積むといっても、特別なボランティアをする必要はありません。例えば、私はスーパーの駐車場に車を停める時、なるべくお店から離れた場所に停めるんです。私は健常で重たい物を運んでも全然平気なので、もっと近い場所が必要な方に譲ってあげたいんです。徳というのはそんなシンプルなことで積めると思うんですよ。
僕たちは「徳を積む」と言われると、何か特別なボランティアや修行といったヘヴィなことを想像しがちですが、このようなシンプルなことでも徳を積めるといわれると、グッと身近なことのように感じられませんか?村上氏は五体満足な健常者であることを活かしていますが、僕たちはそれぞれ活かせるものを使ってヘヴィなことではなくとも、シンプルに徳を積んでいけたら人生がもっと豊かになるのではないでしょうか。
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今回のエントリはここまでになります。
最後までお付き合いいただきました皆様、どうもありがとうございました。
それではまた、次回もお会いしましょう!
See you again!