保守雑誌感想文【2019年8月】
いつも大変お世話になっております。
はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」をやらせていただいております、ノロい人と申します。
早速ではありますが、今回のエントリは、月に一度の保守雑誌感想文になります。
最後までお付き合いいただけましたら、幸いでございます。
後世に伝えたいこと(特集より)
今月号の保守雑誌として、「伝えたい、渡しておかなければならない」と思われる言葉に、「意識が大事」ということがあるといいます。
ここでいう意識というのは二つに大別できるようで、それは"主人公意識"と"被害者意識"であるといいます。何事にも「させられている」「してくれない」「すべてを他人のせいにする」のが被害者意識。これに対し、主人公意識とは自分の人生は自分が主人公であり、責任者であるという意識です。主人公意識に立つ人はあらゆる事態に、自ずと主体的、積極的に立ち向かっていき、歴史に名を残した者は皆、主人公意識で人生を切り開いていったのだそうです。
では、この被害者意識と主人公意識の分かれ道がどこにあるのか、ということについては、斜に構えて読んでしまった僕にはよくわかりませんでした。おそらくこの保守雑誌のことですから、どうせ本人の気の持ちようとか、心を強く持つ、みたいなことなのでしょうが、ぼくはそれだけが分かれ道だとは思いません。本人の育ってきた環境、現在の置かれている状況でもこの意識というものは変わりうると考えており、個人だけではコントロールできるものではないと思うのです。ですから、被害者意識の人間を責めるだけではなく、いかに自分の身を置く環境や状況を選べるかも大きなファクターだと思うのです。そこまで触れてこその”人間学”だと思うのですが、僕の考え方は間違ってますか?
知覧からのメッセージ
知覧特攻平和会館語り部の川床剛士氏の記事より。
この保守雑誌の特攻隊に対する取り上げ方に対しては、どこか美化しているように感じられるように僕には感じられて、違和感が残りました。
本来全く死ぬ必要の無い人を、お上が死なせているわけですから、そこに対して何かしらの反省があってしかるべきだと思うのですが、そこは”保守”雑誌ですから、”戦死した方々に感謝”というどこかのんきな(?)取り上げ方をしているわけです。
しかしながら、記事中の特攻隊の方々の家族に対する手紙が紹介されているところでは、普通に生活しているだけでは知り得ない特攻隊の方々の人生が垣間見えて、それこそ、「こんなことは繰り返してはいけない」という考えを強化させられます。
この記事に関しては、思うところはありますが、読まなければよかった、というものではないことはないことは記しておきたいと思います。
人生は、いつもこれから
デザイナーのコシノジュンコ氏と博多一風堂創業者の河原成美氏の対談より。
どうやら、コシノ氏と河原氏は元々親交があったようで、おカタい保守雑誌の対談記事にもかかわらず、楽しそうに会話が進んでいきます(その対談の内容もちゃんとしたものなのですが)。
僕の中で引っかかったのは河原氏のこの言葉です
世の中は成功している人ばかりではなくて、悲しい人、寂しい人もたくさんいますから、僕はむしろその隅っこにいる人のところに行きたい。僕自身、若い頃は光を見失っていました。だから、たとえ小さくても、弱くても、光となって、自分の立っている場所を照らすような人、生き方をしたいと思っています。
河原氏のように社会的に成功した人でも、悲しい人、寂しい人のことをちゃんと認識してくれていたのか、とホッとさせられた気分になりました。昨今、(名指しはしませんが)成功者とされる人を見ていると、悲しい人や寂しい人のことなんて見えていないんじゃないか、と思わされることが多いものですから。
今回の保守雑誌感想文はここまでになります。
最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
次回も頑張って書きますので、よろしくお願いいたします。
他の方の保守雑誌感想文の紹介