ホウ砂に吹かれて

コンサータ72mg男が書きたいことを書きたいときに書くブログ

自分を責めてイジケることが少なくなった話

お久しぶりです。ノロい人です。

今回は久しぶりの「Gとしての話題」カテゴリでの

投稿です。

 

【GMOコイン】

 

chuck0523.hatenadiary.jp

 

上記の記事を読んで少し思うところがあったので、

取り上げてみました。

そもそも「普通のゲイ」って何なんでしょうネ?

僕の中では、「普通のゲイ」っていう概念の

代わりに「ゲイに求められる要素」っていう概念が

いつの間にか形作られていたように思います。

僕の思う「ゲイに求められる要素」って、ボンヤリしたもの

なので、言語化するのが少し難しい部分もありますが、

列挙するとこんなカンジです。

  • 短髪である
  • 体を鍛えている
  • ヒゲを伸ばしている
  • 日焼けしている
  • 性生活や恋愛に奔放
  • 社交性が高い
  • 彼氏がいる(または一定以上の期間いたことがある)
  • ゲイバーやイベントに足しげく通う

などなど、

なんですけど、自分の事を振り返ってみると、

こういった要素が皆無です。

(まぁ、短髪にするくらいなら、

床屋さん行けばいいだけなんですけどネ)

そんなところなので、

「ゲイに求められる要素が何一つない自分」

責めて生きてきたように思います。

他人と自分を比較してイジケたり。

(そんないじけるくらいなら、こういった要素を

増やすように努力しろと面と向かってお叱りを

いただくことも多々ありました)

 

昔、地元にいた頃、ゲイバーを貸し切りみたいな形にする

飲み会っていうか、パーティーのようなものに参加したことが

あったんですけど、そこで何もできなかったことが結構トラウマで

それ以来社交的なところは避けるようになってしまいました。

(一応、その次もお誘いをいただきましたが、出欠の連絡は

しませんでした。主催者の方ごめんなさい)

 

また、「男遊びの経験を話題として提供する人」なんかも

憎しみの対象でした。

でも、ホントに憎んでいたのはそういう人ではなく、

モテない自分自身なんですけどネ。

 

 

 

上で紹介した記事の中には2丁目についても触れられて

いました。

性的なものを当然のように前面に押し出して、そして見た目偏向な2丁目やゲイ界隈にはずっと違和感がある。

僕の中では、「性的なものを当然のように前面に押し出して」いたり、

見た目偏向」だったりする「2丁目やゲイ界隈」は違和感っていうのは

もちろんそうなんですけど、近寄り難い場所という意識がどうしても抜けません。

自分だってゲイなのに。

なんか、2丁目って「イケてない人お断り」ってカンジがするんです。

イケてない僕には怖いところです。

(「まだ2丁目で消耗してるの?」なんて

よく心の中で毒づいたものです)

 

【PR】まだ空港で両替してるの?【外貨両替マネーバンク】

 

なので、仮に新宿に行くとするならば、2丁目なんかよりも

思い出横丁とかゴールデン街の方がまだいいです。

ゲイなのに。

(いまだに2丁目は誰かと一緒じゃないと行く気になりません)

 

そんなことばっかり考えて、イジケて生きてきた僕ですが、

最近イジケることが少なくなってきたように思います。

「ゲイに求められる要素が何一つない自分」を

責めなくなったというか、気にならなくなったというか

どうでもよくなったんです。

といっても、別にパートナーが出来たとか、

話を聞いてくれる「ゲイバーのママ」を見つけたとか、

そういった人間関係で解決したわけじゃないんです。

どうやら精神薬が効いているみたいなんです。

「よく出来た話」じゃなくてごめんなさい。

 

その中でも、「パロキセチン」がよく効いているのではないか

と思っています。

(どうやら僕にはセロトニンが足りなかったようです)

この薬が出る前は、酒を飲んではよく不貞腐れていました。

当初は「仕事のストレスとか緊張でお腹を壊す」って病院で

話して増えた薬なんですけど、こういったところで効いてくるとは

意外でした。

(ちなみに、メンタル病院にはゲイをカミングアウトしていません。

薬が増えた経緯は下記参照)

 

hebo-chan.hatenablog.com

 

てな訳で、結局ゲイとしてうまく消化できてないモヤモヤが

精神薬で何とかなってしまったって話でした。

あんまり綺麗な話じゃなくて、すみません。

 

それでは、次回またお会いしましょう。

 

 

 

〈男性同性愛者〉の社会史――アイデンティティの受容/クローゼットへの解放

新品価格
¥2,592から
(2017/9/19 22:52時点)

 

「発達障害」ってイケない言葉だと思いますか?

 

 

顧問の勝手な言い分。:用語

↑↑↑

こちら、船橋市船橋高校吹奏楽部の高橋先生の

ブログですが、発達障害について、コメントされていましたので、

取り上げてみようと思いました。

 

私は、かねがね思っていたことがある。
発達障害」という用語である。抵抗ある表現である。私から言わせれば、「発達障害」ではない。障害どころか、「エスパー」である。「天才」である。 

(中略)

発達障害という用語、どうにかならないのだろうか。多数派から見た場合、障害なのかもしれないが、障害ではない。個性であり、才能だ。

 

発達障害を「障害」とみなすか、「個性・才能」として

みなすかっていうのは、結局のところ本人が困っているか

どうかだと思うんです。

実際、生きるうえで苦しんできた本人(またその周囲)が発達「障害」として

診断を受けることで、納得できるようになったということもあります。

ですから、一概に「障害」という扱いがダメということはないと思います。

 

僕も発達障害ADHD/ASD)と診断を受けたことで、

「ああ、自分を今まで困らせていたものの正体ってこれだったのか」と

納得することもできましたし、薬を処方してもらうことでずいぶんと

助けられている部分があります。

(これはひょっとしたら、甘えかも知れません)

僕自身、面と向かって「あなたは障害者です」と言われても、

思い当たる節が多すぎるので特に抵抗はありません。

(言われるシチュエーションにもよりますが)

 

 

あと、発達障害を取り上げるときによく言われるのが、

発達障害には天才が多い」

ということです。

 

 例えば、発達障害の有名人。
スティーブ・ジョブズビル・ゲイツケネディエジソンアインシュタインスーザン・ボイル黒柳徹子トム・クルーズスピルバーグウォルト・ディズニー山下清…。

まさにエスパーである。天才である。

 

僕自身、何か抜きん出た才能があるかというと、

そんなものはありません。

学校の勉強で得意・不得意の差が激しいとか、

興味のツボにバシッとハマったことであれば、

記憶力がいいとかその程度です。

僕以外の発達障害の方でも、周囲を黙らせるほどの

「異能」を持っている人なんてなかなかいないと思います。

 

(ちなみに、「発達障害 天才ではない」と検索すると、

いろいろな意見に触れることが出来るかと思いますので、

興味ある方は是非)

 

 

そもそもこの複雑怪奇なる脳がバランスよく発達することなどあるのか!得意とするもの、不得意とするもの、あって当然である。不得意であるならば、それを得意とする者が補えばいいだけの話。 

一方、 高橋先生の教育者としてのこのご意見は、

発達障害の当事者として、本当に心強く思います。

 

また、

 障害という用語を使用したがゆえ、もしかしたら、あなたはその可能性があるかもしれないね、という他人からのアドバイス、またはカミングアウトに抵抗を感じてしまい、人間関係を歪め、深く思い悩み人生を狂わせてしまっている場合もあるのではないかと危惧している。

と高橋先生がおっしゃっていることについて、

僕自身発達障害であることは受け入れられていますが、

僕みたいな人ばかりでないことも理解しているつもりです。

「あなたには発達障害の可能性があるかもしれないね」と言われたり、

発達障害であることを言いだせない、というところから来る苦しみも

想像に難くありません。

 

ですから、「障害」との診断を受けることで救われる人が

いる一方、「障害」という言葉のせいで思い悩む人もいるという

ことで、これは非常に難しい問題だな、という風に感じました。

 

結局、「発達障害」っていう言葉はいいのか悪いのかは

僕の中で結論を出すことができませんでした。

ですが、白黒つけることに関して、どうしても抵抗がある、

というのが現時点での僕の答えです。

 

(誤読しておりましたら申し訳ございません)

 

う~ん、難しいなぁ…

 

それでは、また。

 

 

発達障害 (文春新書)

新品価格
¥886から
(2017/9/10 22:36時点)

うちの子は字が書けない (発達性読み書き障害の息子がいます)

新品価格
¥1,296から
(2017/9/10 22:37時点)

 

2017東京都吹奏楽コンクールを聴きに行った話

 

 

こんにちは!ノロい人です。

昨日は東京都吹奏楽コンクール(高等学校の部)

を聴きに行ってまいりました。

今回はそのことについて書きたいと

思います。

(↓↓↓大会前日の更新内容)

hebo-chan.hatenablog.com

 

 

 

 

 

予想が当たってしまった話

今回の都大会はこちらの三団体が

全国大会出場を決めました。

↓↓↓

6.東京都立片倉高等学校
課題曲:Ⅴ
自由曲:吹奏楽のための風景詩「陽が昇るとき」より(高昌帥)

9.東海大学付属高輪台高等学校
課題曲:Ⅳ
自由曲:交響的狂詩曲(福島弘和)

10.八王子学園八王子高等学校
課題曲:Ⅲ
自由曲:交響曲第一番「アークエンジェルズ」より (F.チェザリーニ)

 

昨年はここが全国大会に出るだろうと思って予想したところを

外してしまったんですけど、今年は当たりました。

結果発表前のツイート↓↓↓

これがコンクール厨房の勘ってやつです。えっへん。
あと、少しの先入観も。
去年は外したくせにネ。

 

そのほかの結果もおおむね僕が聴いて感じた印象と

そんなに違わかなったように思います。

結果はこちら↓

 

 

トランペットばかりが抜けて聞こえてくる団体が多い

ホールの特性なのか、そのような個性のバンドが予選を

突破してくるのか、予選を通過するための各バンドの「工夫」なのか

僕の耳がおかしいからなのかは分かりませんが、

そのような演奏が目立ちました(特に課題曲)。

確かにトランペットが良く抜けて聞こえてくると、

一瞬ほかの団体よりもうまい気がしてしまうのですが、

(僕だけでしょうか?)

よくよく聴いていると、やっぱりアンバランスさが

気になってしまいます。

おそらく、作曲者としてはそれぞれのパートが

活きるように作曲していると思いますので、

パートが皆、活きてくるようなバランス作りの上での

「工夫」が欲しいと思いました。

それはすごく難しいということは承知しているんですけどネ…

(課題曲の場合、「落とし穴じゃなくて課題」を用意するために

わざと活きにくいパートが楽譜上作られているという

こともあり得ます。有名校なんかはそこら辺をシレっと楽譜を

書き換えている、なんてウワサもありますが、そこらへん事実か

どうかは分かりません)

 

自由曲と比較して課題曲の完成度が低い団体も多い

これは、昔からいろんなところで言われているような気がするのですが、

(先日の東関東大会と比較すると、)都大会では課題曲の完成度が低い、

という印象を持ちました。

「自由曲でそれだけの立派な音が出るなら、課題曲でもそれ聞かせてよ!」

みたいな。

あとは、「明らかに自由曲に向けて体力を温存していたんだろうなぁ」

なんていう感想を持った演奏もありました。

(個人的な意見としては、2時間近くするコンサートならまだしも、

12分間のコンクールで体力温存しなきゃいけないような選曲は

間違えているのではないか、と思います。吹奏楽コンクールでは、

「12分間で持てる実力・集中力・気合いを出し切った!」っていうような

演奏を期待しています)

課題曲別に見て行くと、

Ⅱ・Ⅳの行進曲では、特にバランスの悪さが目立ちやすかった、

という印象があります。また、「行進曲を演奏する上で、

その音形(アタック・コア・リリース)でいいのかなぁ~」

とか、「主旋律の音のブレンドがよくないなぁ」いろいろ課題が

目立っていたように思います。

Ⅲの『インテルメッツォ』(間奏曲の意、でしたっけ?)では、

「サウンドのふくよかさがもっと欲しいなぁ」とか、

先ほど同様、「音がブレンドしているともっといいんだけどなぁ」とか、

「えっ、ホントにそのテンポ設定でちゃんと歌えるの?」なんていう

感想を持った団体が散見されました。

Ⅴの『メタモルフォーゼ』では工藤静香さんではありません)

現代曲で僕はイマイチよく解っていないのですが、音楽的素養が足りん!

(先日の東関東大会では、各セクションごとの交通整理に気を遣っていたり、

メリハリ」のある演奏が目立っていた一方で、)

今回の都大会では、「メリハリをつけるために、ここは思い切った表現が

欲しかったなぁ」という感想を持ちながら聴くことが多かったように思います。

そして、残念ながら僕が一番気に入っていた課題曲Ⅰ(スケルツァンド)を選曲した団体は
ありませんでした。少しさみしかったです。

 

そんな中、技術面・表現面で配慮の行きとどいたマーチを演奏した高輪台

場面転換の見事だったインテルメッツォを演奏した八王子が高い評価を

受けたことについて、「審査員もちゃんと課題曲を聴いているんだな」と

ホッとした気持ちになりました(当然ですよネ、失礼しました)。

 

というわけで、予選を勝ち抜いてきただけあり、

どこもかしこも非常に上手な演奏だったのですが、

今回はあえて個人的に引っ掛かったところを

まとめてみました。

以上、読んでいただきありがとうございました。

またお会いしましょう!

 

 

 

もう八王子の演奏が上がっています。早いですネ。
(自由曲:交響曲第一番「アークエンジェルズ」より/F.チェザリーニ)
レスピーギを連想させるような曲調なんですが、
キリスト教の音楽を題材にすると、そう聴こえて
しまうんですかね?(って思うのは、僕だけ!?)

↓↓↓


【吹奏楽/東京2017】交響曲第1番「アークエンジェルズ」/八王子学園〔第57回東京都吹奏楽コンクール・金賞代表〕

 

 

 

タッド・ウィンド・コンサート(30)フランコ・チェザリーニ/交響曲第1番「アークエンジェルズ」 TAD WIND CONCERT Vol.30Symphony No.1 The Archangels