保守雑誌感想文【2017年12月】
平素より大変お世話になっております。
はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」を書いております
ノロい人でございます。
実はこのブログはこの記事で100回目の更新を迎えます。
世の中の大半は、十進法で物事が運んでいますから、
キリのいい数字ということになりますネ。
今回の更新は月1回の自己啓発系保守雑誌感想文です。
12月号ということで、今年最後です。
いや~1年って過ぎるのが早いですネ。
どうやら今月号の保守雑誌のテーマは「遊」という
ことみたいなんですけど、「遊」についてこんなことが
書いてありました。
遊は暇つぶしではない。また何かのためにするものでもない。子供の遊ぶ姿にそれは如実である。遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。夢中である。無心である。
この箇所を読んで、 夢中だったり無心になって何かをするのは
発達障害特有の「過集中」ってやつじゃないの?ていうのが
まず抱いた感想です。(違ったらすみません)
過集中って確かに時間を忘れて物事をグイグイ進めることが
出来るんですけど、過集中の反動もものすごいモンなんです。
寝込まなきゃいけなくなるわ、頭は痛くなるわ、何もする気が怒らないわ
で大変なんです。
集中もほどほどにしたいところです。
さらに、「遊」について、論語に出てくる「知好楽」と対比されていました。
というのも、「知好楽」にはそれぞれ、
- 知⇔無知
- 好き⇔嫌い
- 楽しみ⇔苦しみ
というように、相対する概念がありますが、
「遊」には相対する概念がないというのです。
したがって、「遊」というのは絶対の境地という風に書かれていました。
これには僕も「なるほど」という感想を持ちました。
(とくにそれ以上の感想はありません)
あと、雑誌の記事の中で少し引っ掛かったところがありましたので、
引用して紹介したいと思います。
仕事には個性があります。個性に合った働き方というものがあるはずです。
例えば、ある営業マンが担当するお客さんの身内で不幸があったとします。すぐさま飛んでいって、「何かお手伝いすることはありますか」と尋ね、通夜の準備に駆け回るのが本当です。そんなときに、「働き方改革だから、明日勤務時間にお伺いします」というような営業マンなら相手にされるはずがないでしょう。
ちょっとこれは論理的(?)に難しかったです。
個性に合った働き方と言いながら、「働き方改革に従う」という個性を発揮する
余地がないように読めてしまいました。
僕がヒネクレているのでしょうか?
「働き方改革」が声高に叫ばれている昨今、労働者としての立場であれば、
「働き方改革だから、明日勤務時間にお伺いします」というような営業マンの
方が正解なのかもしれません。
それでも、僕がお客さんの立場だったら、通夜の準備に駆け回ってくれる
営業マンの方から商品を買ってしまうんだろうな、という風に思いました。
世の中ってこういう風に回っているんだな、と思いつつ、
「働き方改革が叫ばれている中、この営業マンは通夜の準備に駆け回って
いて大丈夫なのだろうか」とはならない自分の懐の狭さにガッカリしました。
僕のような人種が、世の中の働き方をブラックにしているのかもしれません。
反省。
〈そういうことじゃないだろう、というお叱りは甘んじて受けます)
ということで、今回はここまでにしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
See you again!
【過去の保守雑誌感想文】