ホウ砂に吹かれて

コンサータ72mg男が書きたいことを書きたいときに書くブログ

LGBTを尊重する?

 

 

 

先日、会社でとある課長が同僚(男)に向かってこんなことを

言っているのを耳にしました。

 

「今度退職するX君、最後に抱いてやりなよ」

「今はLGBTって言って、尊重してやらなきゃいけないんだってよ」

 

説明すると、このX君はどこか言動が中性的なところがあり、

ゲイとか、オカマなんじゃないかと言われていました。

この課長は冗談でそういうことを言ったのでしょうが、

LGBTを尊重する→抱いてあげる、という思考回路には

驚きました。

 

 

この会話を聞きながら、

「その”LGBT”とやらがここにいるんだけどな」などと

思っていたのですが、よく考えてみると、

LGBTを尊重する→抱いてあげる、という思考回路は

ありがたいことなのかもしれません。

よし!これからは僕も、好みの殿方を見つけたら、

「ゲイを尊重するなら、僕のことを抱いてください!」

などと言って迫ってみよう!

 

アホか。

 

本当に性的少数者を尊重する気があるんだったら、

個人的には恋愛や性の話題を振らないでいてくれるのが

一番ありがたいんです。

彼女ができたかとか、早く結婚しろとか、

一緒にフーゾク行こうとか、もしかして”こっち”?とか、

そういうことを言わないでくれるだけで良いんです。

何も「抱いてやる」だなんて、自分からハードルを上げる

ことなんかないんです。

特定の話題を振らないだけで、性的少数者を尊重することに

なるんだから、何も難しくないでしょう。

 

まったく、もう。

 

 

口が軽い人間の言い分

 

 

いつも大変お世話になっております。

はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」をやっております、

ノロい人でございます。

会社の後輩から、たまに口の軽さを責められる僕なのですが、

正直なところ、口が軽いという自覚はないですし、思い当たる

エピソードもないんです。

(その後輩も、人のことを口が軽いと責めながら、

その後もいろいろな話題を提供してくるのが不思議です)

しかし、口が軽いと言われてしまったからには、

僕は口が軽い人間なのでしょう。

そこで、口が軽い人間ってどういう心理状態にあるのか、

と思い、少し調べてもみたら、このようなページを

見つけました。

psychology-japan.com

 

このページによると、口が軽い人間の心理というのは、

  • 自分がいつも中心でいたい
  • おしゃべりであるという自覚がない
  • 噂をすることで、自分の価値を見出す

ということなのですが、あまり自分に当てはまっていないように

思います。

(ただ、二番目の「おしゃべりであるという自覚がない」という

項目に当てはまっている可能性が拭いきれない)

一方、口が軽い人間の言い分についても検索してみたのですが、

なかなか引っかからないため、僕なりに口が軽い人間の言い分を

考えてみました。

 

 

秘密であることを忘れている

僕はワーキングメモリという記憶力が弱いタイプの人間ですので、

ひょっとしたら「これ、誰にも言わないでネ」とか

「ここだけの話なんだけど・・・」と言われたことを忘れている

可能性があります。

別に忘れようとして忘れているわけではなく、

ワーキングメモリの弱さによるものなので、こればっかりは

大目に見ていただきたいです。

ただ、たまには秘密と言われたことを覚えていたりするもので、

そのときはちゃんと人には話さないようにしています。

(ただし、これも怪しい。

人に話したことを忘れているかもしれないので)

 

 

我慢ができない

よくよく考えてみれば、これはある程度仕方のないことなのかも

しれません。何で我慢ができないことが仕方ないのかって?

だって、秘密を言ってきた本人が我慢できないのに、

それを言われた他人はそれ以上に我慢できないと考えるのは

不自然ではないからです。

(ちなみに、この論理で後輩に反論を試みたところ、

口の軽さだけでなく、開き直りの態度だとして

さらに責められることになってしまいました)

ですから、秘密にしておかなきゃいけないのに、

人に話したくてウズウズするようなことほど

気を付けなくてはいけないと言うことになりますネ。

 

 

ということで、秘密やここだけの話をする際には、

相手が忘れたり、しゃべるのを我慢できなくなる

リスクは必ずついて回るということを肝に銘じておきましょう。

それでは、また次回お会いしましょう。

口の軽いノロい人でした!

 

 

保守雑誌感想文【2018年7月】

 

 

いつも大変お世話になっております。

はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」をやっております、

ノロい人でございます。

今回のエントリの内容は、保守雑誌7月号の感想文になります。

今月号のテーマは“人間の花”ということで、書いていきたいと

思いますので、最後までお付き合いのほどよろしくお願いします。

 

 

「木の五衰」

安岡正篤師は木が弱り衰えていく段階を「木の五衰」と

表現しています。その段階とは、

  1. 懐の蒸れ:枝葉が茂りすぎ、日当たりも風通しも悪くなってくる
  2. 裾上がり:“懐の蒸れ”が続き、根が上がってくる
  3. 末枯れ:木が頭から枯れてくる
  4. 末止まり:梢が枯れ、成長が止まる
  5. 虫喰い:いろいろな害虫がつき始める

をいいます。人間も同様とのことです。

では、人間の花はどういう人に咲くのかというと、

心の雑草を取り去り、よく手入れし、調和させている人、

心の力をよく知る人のみが、人間の花を咲かせるのだそうです。

自分を振り返ってみると、「心の雑草」なんていわれても、

何が「心の雑草」に当たるのか、皆目見当もつきませんし、

「調和」といわれても、何と何が調和しているのか

よくわかっていないので、自分にはまだ“人間の花”は

咲いていないのだと思います。

 

 

他人の花を咲かせるには

500人を超える受刑者を雇用してきた、北洋建設社長の

小澤輝真氏は、人間の花を咲かせることについて、

このように語っています。

 他人の花をどう咲かせるかではなく、まずは自分の花を大きく咲かせたい。自分の花を大きく咲かせることが、受刑者の雇用に繋がり、結果的に他人の花を咲かせることになるんだと思っています。

教育者や経営者の立場にあれば、「他人の花をどう咲かせるか」という

ことに考えが及びがちになってしまいやすいところですが、

小澤社長は 「自分の花を咲かせる」ことを優先されています。

それが一見遠回りに感じられても、結果として、

「他人の花を咲かせる」ための近道ということになるという

ことで、小澤社長の人生経験から生まれた重みのある話だと

いう風に僕は受け止めました。

 

 

道場六三郎氏と松岡修造氏の対談より

このお二方の対談の中で、“人を育てる叱り方のコツ”に

ついて語られているところがありました。

その中で僕が一番意外に思ったのは、松岡修造氏が

「僕は、根拠や理論に基づかない根性論が嫌い」と

語っている場面でした。

松岡修造氏は皆さんご存じのように、教え子に対して、

“熱さ”を求めるタイプの指導者なので(誤解だったら

ごめんなさい)、てっきり根性論に基づいた指導を

されていると思われがちなのですが 、そうではないようです。

叱るにも、松岡氏はルールを定めているといいます。

松岡 (略)僕はジュニアの指導をする際、七秒ルールというものを作っているんですよ。七秒間の中で叱る。それ以上長い間叱ると、子どもたちはその場を凌いでいる感覚になってしまっていて、もう聞いていない。 

 一方、道場六三郎氏は叱り方について次のように語っています。

道場 だから、僕は注意するときはいつも二~三秒なんですよ。これはこうだって悪い点を指摘して、もしわからなかったらなぜ叱られたのか聞きに来いと。 

僕が感心したのは、叱られたことについてわからなかったら聞きに来て

良いという点です。普通、学校や職場でなぜ叱られたのかわからなかったら、

そのことについて聞きに行くということはなかなかないと思うんです。

なぜ叱られたのかわかっていないことをさらに叱られ、元々どういうことで

叱られたのかますますわからなくなっていくという悪循環にハマることが

想像に難くないからです。

しかし、道場氏はなぜ叱られたのかを聞きに来いと、それを許容している

のです。意外だ、と思ったのは僕だけでしょうか。

 

 

以上が2018年7月号保守雑誌の感想文でした。

最後までお付き合いくださいまして、

誠にありがとうございます。

それでは、また次回お目にかかるのを楽しみにしております。

アディオス!