ホウ砂に吹かれて

コンサータ72mg男が書きたいことを書きたいときに書くブログ

発達障害は本当に人生の早い段階で判明した方がいいのか

僕が医師から発達障害の診断を受けたのは30歳を目前に控えた頃でした。

今の今までは、「何でこんなに発達障害が見つかるのが遅かったのだろう…」、「もっと早く発達障害だと判っていれば、もっと違う(良い)人生があったのではないか」など、診断を受けるのが遅すぎるとばかり思っていました。

 
しかしながら、先日ツイッターでこのようなつぶやきを見つけて少し考えさせられました。

 「確かにネ」って。

僕は自分の収入で生活するようになってから発達障害が判明したので、親がそれを受け入れてくれなかったとしても、”親を捨てる”ことができるけど、仮に子どものころに診断がついて、親が受け入れてくれなかったら、地獄でしょう。

また、普通の学校で吹奏楽に打ち込むことができなかった可能性もあるし、(自称)進学校→(駅弁)大学→就職という人生も歩めていなかったかもしれないですし、定型発達に擬態してそれなりの収入を得ることもできなかったかもしれません。

 

でもネ、人生の30年弱、正体不明の劣等感だったり、臆病さだったり、恐怖心だったり、そういったものを抱えて生きてきたのはとても辛かったです。

「何でみんなが出来ることが自分だけできないんだろう…」
「新しい環境でこの”テンドなし”(要領が悪いの意?)の自分はやっていけるのだろうか…」
「ダメだ、集中しようとすればするほど、集中できなくなってミスをする…」

こんなことばっかりでした。

あとは、親からも定型発達に擬態させるべく、「人前で理由もなくニコニコ(ニヤニヤ)するのはやめなさい」、「独り言を我慢しなさい」等の指導がありました。
大学時代、たまたま読んだ発達障害の本に自分に当てはまる点が数多くあったので、「自分は発達障害なのではないか」と話をしたこともあったのですが、「またヘンな本を読んで自分に当てはめたんでしょう」と取り合ってもらえないこともありました。


ただ、タイムマシンなんてものはないので、子どもの頃に戻るなんてことはできません。
定型発達に擬態することで得られたものに感謝してこれからを生きていくしかないのかもしれません。 

僕の新卒1年目

 

少し前ですが、この「新卒1年目にやったこと」つぶやきが話題となり、いろいろと反響がありましたネ。

引用リツイートされていたものを少し紹介させていただきます。 

 

 

4つほど紹介させていただきましたが、(元のつぶやきをヨイショする内容が多い中、)僕が激しく同意できるものだけを厳選して紹介させていただきました。僕の意識の低さが伝わってきたと思います。

前置きが長くなってしまいました。もう何年も前のことなので記憶がおぼろげではありますが、(皆さんにとってはどうでもいいことなのは重々承知の上で)僕の新卒1年目について振り返ってみようかと思います。

  1. 富士山付近(ブラック研修のメッカである)での保守系教育組織の研修施設で3日間くらいカンヅメにされて、親や会社に対する感謝を叩き込まれる。
    ⇒100人くらいの新卒が来ていたような。お前らが我々の人生の何がわかる、と反発心を強めた記憶が。あと、名物の”トイレ素手掃除”、僕はやらずに済みました。ラッキー。
  2. 直属の上司がコワいとされていた人物になることが判明。ガッカリする。
    ⇒最初の数年間は叱られまくりだった。全部ではないが僕の気分障害の原因はこの上司だろう。一方で、発達障害をカミングアウトしなくても、僕の特性を察知して面倒を見てもらっていたようなところもあった。結局、この上司は家庭の事情で退職することとなり、僕の気分障害は悪化することに。いまだに自分の中でこの上司をどういう風に評価したらいいのかわからない。
  3. 初めての会社全体の飲み会で記憶を失くして吐くまで飲む。
    ⇒確か暑気払いでした。別に誰からも飲酒を強要されたわけではないので、それなりにストレスがたまっていたのでしょう。いろんな人に迷惑を掛けましたが、皆さん優しい(?)ので笑って許してくれました(笑い者にはされましたが)。あと、直属の上司の名前を呼び捨てで連呼していたという事実を、半年後になって別の上司から知らされました。意地悪。
  4. 現場へ向かう途中のハイエースの中で号泣
    ⇒当時、作業員みたいな感じで毎週行っていた現場があったんですけど、その現場に向かう途中、一人でハイエースを運転していたらいきなり息苦しくなってきて、慌てて窓を開けたのですが、それでも息苦しさは収まらず、次第に理由もなく悲しい気分になってきて、気がついたら号泣していました。今思えばストレスが溜まりに溜まってメンタルがやられていたのでしょう。
    当時の自分に言いたい。「メンタル病院行け」
  5. 営業大部長直々の依頼試験でミスりまくり、直属上司に怒られまくる
    ⇒この試験が結構ボリューミーだったのですが、連日の現場作業員の疲れや当時気付いていなかった発達障害の症状も相まって、ミスや不適切な操作を連発して、怒られまくりだったんです。
    んで、その時「何で自分はこんなにダメなんだろう」って思うんですけど、思えば思うほど、集中力が無くなっていって、脳内多動が激しくなっていったのがハッキリとわかったんです。
    その時の自分に言ってやりたいんです。「発達障害の診断もらえ」
  6. ベンチャーの錯体屋さんと一緒に仕事を始める
    ⇒社長からのご指名で、新卒1年目にも関わらず、付き合いがあったベンチャーの錯体屋さんと一緒に仕事をさせてもらえることになりました。結局、その仕事自体は、うまくいきませんでしたが、その錯体屋さんとはいまだに関係が続いていて、数少ない社外の味方になってもらっています。

ということで、自分の新卒1年目は特筆すべき面白いことはありませんでしたが、こうして振り返ると、メンタル病院に行くのが遅れたことがいろんな意味で悔やまれます。

このエントリに最後までお付き合いくださった皆様は、僕の分まで悔いのない人生を過ごしてくださいませ!

ツイッターで #吹奏楽の伝説 というタグが流行ったので。

つい先日まで、ツイッター吹奏楽ファンの皆さんの間では #吹奏楽の伝説 という自分のお気に入りの演奏を紹介するタグが流行っていましたので、”吹奏楽コンクール厨房”を自称する僕も乗っかってみることにしました。

ただ、全国大会の演奏に関しては、どうせ誰かが紹介しているだろう、ということや、僕自身聴きに行けたことがありません(奏者側としても行けたことはありません)ので、全国大会以外の演奏を紹介することとしました。 

1/3 2008年 専修大学北上高等学校

このときの宇宙の音楽はとにかくスゴかった。聴いてて過集中になったもん。

結局この年の専修大学北上高は東北大会金賞まで行きましたが、これを最後に岩手県高等学校旧Aクラスからは東北大会金賞が出ていません。頑張れ! 

2/3 2016年 聖徳大学付属女子中学校・高等学校

hebo-chan.hatenablog.com

↑こちらのエントリでも紹介しておりますが、最初編成を見たときはビックリしました。しかしながら、演奏自体は心配したような不安定さはなく(中学生もいる小編成なのに!)、なみいる強豪55人編成にしっかりと肩を並べていました。 

3/3 2017年 作新学院高等学校


hebo-chan.hatenablog.com

 ↑こちらの作新学院高さんの演奏はこのエントリで紹介させていただいております。
この演奏にはとても感動させられました。コンクール終了後、即売の音源を買って、帰って聴いたんですけど、「あ、あの感動は直接聴かないと100%じゃないな」って。真島富士山でこの年の作新学院高を超える演奏にはまだ出会えていません。 

番外編 曲の改変について

吹奏楽の伝説」に絡めて、曲の改変に苦言を呈されていた方がいたので、1999年の吹奏楽コンクール、福岡工業大学附属城東高等学校が取り上げた櫛田胅之扶作曲『元禄』についてコメントしておきました。
このお話を屋比久勲先生から伺ったのは大学時代に参加した指導者講習会の中の講演会です。