ホウ砂に吹かれて

コンサータ72mg男が書きたいことを書きたいときに書くブログ

講評の書き方について

 

いつも大変お世話になっております。

ノロい人でございます。

今回は吹奏楽コンクールの講評についての内容になります。

吹奏楽に興味のある方はそのまま読んでいただいて、

吹奏楽なんてわかんないや、という方は、ブログや各種文章を

書く上で参考になるかもしれませんので、そのまま読んでいただき

たいと思います。

 

 

会社のお盆休みの時に、実家の自分の部屋を漁っていたら、

僕が小学生の時に購入した吹奏楽雑誌「バンドジャーナル」

音楽之友社)の1999年1月号が出てきまして、読んでいたら、

鈴木竹男先生の吹奏楽コンクールの講評についての記事に

関心を持ったので、ここでその内容を紹介してみたいと

思います。

 

その記事を書かれた鈴木竹男先生という方は、

吹奏楽の魔術師」とも呼ばれた方で、関西職場バンドの

雄であります、阪急百貨店吹奏楽団を率いてこられた偉大な

先生でございます。

(鈴木竹男先生についてはこちらのページも御覧ください)

↓↓↓

吹奏楽の魔術師 2005.4.6.: 橋本音源堂

 

さて、鈴木竹男先生の書いた吹奏楽コンクールの講評についての

記事の内容というのが、一言で言うと、

「審査員の先生方には、しっかりした

内容の講評を書いていただきたい」

ということを、具体例を交えて書かれていました。

ここから、その内容について紹介していきたいと思います。

 

1.モノは言いよう

「金賞を意識しての演奏で、冷たく、温かさが感じられない」

こういった講評を書いてくる審査員がいたようです。

いや~、なかなかキツい表現ですネ。確かに、審査員の立場としては、

点数稼ぎのつまらない演奏だったのでしょう。

それでも、鈴木先生は「コンクールに出て金賞を目指さないバンドはない」と

した上で、「金賞を目指すこと」と「音楽の表現力」は別の話であると問題を

切り分けています。

そのバンドの演奏が問題だったかもしれないことを認めつつ、

鈴木先生「審査員の文章力・表現力の不足」を指摘していました。

ちなみに、鈴木先生としては、

機械的で、感情が表現しきれない演奏」

という書き方であれば、関係者も反省・納得できるのではないかと

しています。

(僕もこの書き方であれば適切だと思います。激しく同意です)

 

 

2.ユーモアはほどほどに

鈴木先生は審査員のこのような講評の書き方にも苦言を

呈されていました。

「素晴らしいソロ!座ブトン3枚あげてください!」

スゴいですネ。別に僕は熱心な笑点大喜利の視聴者ではありませんが、

司会者が座布団3枚をあげているところなんてめったに見たことはありません。

よほど素晴らしいソロの演奏だったのでしょう。

しかし、鈴木先生の考えとしては緊張をほぐしてあげたいという、

審査員の配慮については一定の理解を示しながらも、このような表現は

コンクールの場には相応しくないとして、「素晴らしいソロでした」だけで

十分なのではないかということです。

(僕個人としては、別にこういった書き方でもいいと思うんですけどネ。

ホメられた側としても、「やったー、あのXX先生から座布団3枚ももらえた―」

ってカンジで嬉しいでしょうし)

 

 

3.書きっぱなしではなく、講評に教育的配慮を!

鈴木先生は審査員のこのような手厳しい講評にも意見を

述べられていました。

その内容がコチラです。↓↓↓

「どのように聴いてもチャイコフスキーの曲とは思えない」「作曲者がこの曲を書いた時、精神状態はかなり乱れていた。その異常さを演奏に表現すべきだろう」 

なかなか厳しい講評ですネ。このような講評に対して、鈴木先生

「けなす」だけで終わらない講評を、という風におっしゃっています。

では、「けなす」だけではなくどういったことが講評に求められている

のかというと、「どのようにすれば良くなるか」ということです。

どのように演奏すればチャイコフスキーの曲になるか、また、精神状態の不安定さ、異常さをどのように表現するのか、それを、指導助言してほしいのです。 

演奏に至らない点があれば、審査員として指摘するのは当然のことながら、

(プロのコンクールならまだしも、アマチュア相手に)講評の書きっぱなしは

よくないですよ、ということなのでしょう。

 

ちなみに、阪急百貨店吹奏楽団は1998年のコンクールでは、

チャイコフスキーの歌劇「雪娘」の「道化師の踊り」を

取り上げており、全国大会で金賞を受賞しております。

おそらく、先ほどの手厳しい講評はその年のコンクールでの

演奏に対して書かれたものなのではないかと思います。

全国大会で金賞を受賞するようなレベルの高い演奏に対しても、

あれだけ厳しい指摘がなされるというのは、僕にとって少し

驚きです。

指摘の内容も、「ピッチが合っていません」とか

アーティキュレーションが不正確です」というものであれば、

どうすればいいのかは大体分かりますが、

チャイコフスキーらしさ」とか「精神の不安定さ、異常さ」なんて

ことを言われたって、大半のアマチュアにとってはお手上げに

なってしまうでしょう。

しかし、「チャイコフスキーらしさ」とか「精神の不安定さ、異常さ」を

どうやって表現するかを講評に書くというのは、審査員にとっても

なかなかハードルが高い内容なのではないでしょうか。

 

 

4.生命を与える講評を

鈴木先生

「コンクールに出るのは、生命をカンナで削るようなものだ」  

という言葉を、とある指導者の言葉として紹介しています。

必死に練習に取り組んできたバンドのメンバーにとって、

落胆・失望の涙にくれるだけでなく、

(コンクールでは「全国大会金賞」という最高評価を得られない

バンドの方が圧倒的多数なワケですからネ)

次の目標に向かって、新しい力が湧くような講評をお願いしたいと

鈴木先生は締めくくっておられました。

 

 

ということで、長くなってしまいましたが、この鈴木竹男先生の記事が

僕の中ですごく印象に残ったものですから、ここで紹介させていただきました。

僕が吹奏楽コンクールの審査員をやるなんてことはまずあり得ませんが、

これからブログを書いていくとき、何かを評する時にこういったことに

気をつけていきたいと思います。

 

ここまで、長いエントリにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

それではまた、お会いしましょう!

See you again !