ホウ砂に吹かれて

コンサータ72mg男が書きたいことを書きたいときに書くブログ

過労自殺は自己責任?だから何?

 

 

 

このツイートなど、数々のツイートが炎上している

田端信太郎様ですが、こういうことを言ってしまうなんて

スゴいですネ(悪い意味で)。

上司が屋上から物理的に突き落としたりしなければ、

何をしてもいいのでしょうか?

 

田端様は株式会社スタートトゥデイのコミュニケーション

デザイン室長ということで、管理職の立場にあるわけですが、

普通だったらこんな管理職の下で働くなんて考えられません。

一般企業では、部下が辞めたり、健康を損なったりしたら、

まず管理職の責任ということで、少なくとも事情聴取を受ける

くらいのことはあると思うのですが、仮に田端様の部下が

過労自殺した場合、「自殺した本人の自己責任」と言って

しまうのでしょうか。

 

僕は今まで過労自殺の責任は企業側にある、というのが

社会通念だと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。

じゃあ、百歩譲って自己責任だとしましょう。

だったらなんなのでしょう?

自己責任だからといって、助けなくていいと言うことにはなりません。

人工透析患者や原発避難者のことを自己責任という風に言った人が

かつていましたが、「自己責任」=「助けるべきではない」という図式が

頭の中にある人はどういうわけか少なからずいるみたいです。

その図式を認めてしまったら、火の消し忘れで家を燃やして

しまった場合、自己責任ということで消防は出動しなくていい、

ということになるのでしょうか?

酒を飲み過ぎて急性アルコール中毒になってしまった人には

自己責任だから救急は必要ないということになるのでしょうか?

そんなわけないでしょう。

自己責任であろうとなかろうと、過労により精神を病んだり、

健康を損なった人は切り捨てる対象ではなく、手を差し伸べる

のが当たり前だと思うんですが、何かおかしいこと言っていますか?

 

『戦国武将の精神分析』第2章を読んで

 

 

今回は前回のエントリの続きとして、『戦国武将の精神分析』の第2章、

サイコパスの疑いあり”について取り上げてまいりたいと思います。

内容としてはサイコパスが疑われる戦国武将に関するものになります。

どうか今回も最後までお付き合いくださいませませ。

 

hebo-chan.hatenablog.com

 

 

川中島の戦いの決着は…

サイコパスが疑われる最初の武将は武田信玄です。

武田信玄vs上杉謙信で有名な川中島の戦いですが、

「信玄は弟や重臣を失ったことから、どちらかといえば、

謙信の勝利ではないか」と主張する歴史研究者がいる

一方で、本郷和人先生はそれは違うのではないかと

考えています。

というのも、川中島の戦いで一番激しかった

永禄4(1561)年の第四次の戦いで、確かに信玄は

弟の信繁や重臣の両角虎定を失っているのですが、

弟や家臣を捨て駒として使っていたのかもしれないと

いうこともあり得るからです。

結局のところ、信玄が「この駒を捨ててもここは取る」

という計算をしていたかどうかはわかりませんが、

もしそうであるなら、かなりサイコパシーが高い人物と

いうことになります。

 

 

歴史学者をも欺いた織田信長

次にサイコパスが疑われるのは織田信長です。

本郷先生はかつて、貧しくて身体に障害のある

物乞いに対して、信長は妙に優しくしたという

エピソードから、「信長は本当は優しい人間

だったんじゃないか」と書いてしまったことが

あるそうです。

しかし、それに対して中野信子先生は

「そう思わせたほうがいい相手」や

「その振る舞いを見せつけたい誰か」の存在を

想定して、”プレゼン”だったのではないかと

分析しています。

そこで、落胆した本郷先生のこの一言が出ました。

本郷 あぁ、見損なった。 

信長に関しては、このほかにもサイコパスと思わずには

いられないエピソードや分析がたくさん出てきます。

 

 

小型の信長、松永久秀

織田信長に関連して、信長に仕えながらも裏切りを

繰り返した松永久秀についても触れられています。

本郷先生は久秀のことを小型の信長と呼んでいる

のですが、どうやら信長とは違いサイコパスでは

ないようなのです。

サイコパスでなければ、何に当てはまるのかというと、

中野先生曰く、”ソシオパス”に当てはまるというのです。

ここで簡単に説明すると、サイコパスは先天的であるのに

対し、ソシオパスは後天的な反社会性パーソナリティ障害に

なります。

では、どういった点でサイコパスではなく、ソシオパスで

あるかといえば、久秀が茶人として優れ、数々の建築物を残し、

美に執着した人物であった、という点でサイコパスとは

異なるというのです。

というのも、美的センスと良心は脳の同じところで

処理されることから、美しさを判断できた久秀は

サイコパスではなくソシオパスということになります。

そんなソシオパス久秀は、信長からの「平蜘蛛の茶釜を

差し出せ」との命令に背き、最期を迎えます。

 

 

妄想症のパラノイア豊臣秀次

サイコパスとは違いますが、パラノイアとして、

豊臣秀次にも触れられていました。

秀次には被害妄想があったということから、

中野先生はパラノイアだったのではないか、と

分析されています。

潜在的自己評価が低い場合、ナルシストになるのに対して、

顕在的自己評価が低いのに、潜在的自己評価が異様に高い場合、

秀次のような妄想症のパラノイアになってしまうといいます。

パラノイアの特徴として、「異常な支配欲」が挙げられますが、

秀次も多分に漏れず、100パーセント支配しないと気が済まない

人物だったことが、本郷先生の話から窺い知ることができます。

本郷 (略)秀吉は秀次にものすごく配慮をして、「日本の5分の4はお前にやるから、5分の1を秀頼にやってくれないか」と下手に出たわけですよ。ところが秀次は撥ねつけてしまうんです。(略)この秀吉が妥協案を出した時、なぜ秀次は、ある程度のところで折り合いをつけることができなかったんだろう、というのが僕の大きな疑問なんです。 

 

本郷 (略)「秀頼殿を俺の養子とかにしましょうか」とか秀吉に申しでて、秀頼を自身の養子にして、「俺の次の天下は秀頼殿でいいですよ。そのかわり俺は中継ぎとして頑張ります。秀頼殿が天下を取った暁には俺もそれなりにいい暮らしをさせてください」と、何で言えなかったのかなって思ってしまうんです。 

 

 

オーストラリアのとある大学の研究では、企業の

CEOにはサイコパスが5人にひとりはいるという

結果が出ているとのことですが、戦国武将についても

同様なのかも知れませんネ。

 

ということで、今回のエントリはここまでになります。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

それでは、また次回お会いしましょう。

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保守雑誌感想文【2018年5月】

 

 

日頃より大変お世話になり、ありがとうございます。

はてなブログで「ホウ砂に吹かれて」をやっております、

ノロい人でございます。

今回のエントリは月に一度の、私の会社で取っている

保守雑誌の感想になります。

どうか、最後までお付き合いください。

 

利他は宗教を問わない

今月号の保守雑誌のテーマは、”利他に生きる”でした。

皆さん聞き飽きているとは思いますが、「人」と

いう字は人と人が支えあっていることを示しています。

すなわち、人はみんな利他によって生かされている

ということができます。

宗教でも、孔子は”仁”(思いやりの心)、釈迦は慈悲、

キリストは愛を説いています。

これらはみな、利他につながっていることから、

利他は宗教を問わない考え方なのだと思います。

 

稲盛和夫氏が創設した京都賞

稲盛和夫氏のインタビューでは、稲盛氏が創設した

京都賞について触れられていました。

これまでの受賞者について、共通している点を

稲盛氏はこのように言っています。

皆さん一様におっしゃるのは、画期的な発明や発見に至るプロセスにおいて、人知れず努力を重ねているさなか、あるいはふと休憩を取っている時や寝ている夢の中で、まるで神様の啓示の如く、創造的な閃きを与えられる瞬間があるということです。 

 僕はこの箇所を読んで、まず思い出したのが

ベンゼン環の構造を発見した、ケクレの話です。

常に研究のことで頭がいっぱいである人のところに

閃きが降ってくるのでしょう。

稲盛氏はこういうことも言っています。

この宇宙には知恵の蔵、真理の蔵というものがあって、純粋な情熱を傾けて一心不乱に取り組むその真摯な努力に足して、神様は知恵の蔵の扉を開き、困難や障害を克服するヒントを授けてくれるのではないかと思います。 

 

 

利他は遺伝子・環境のどちらによるものなのか

私たちの社会でみられる利他的な行為は、

遺伝子によるものなのか、はたまた教育やしつけなどの

環境によるものなのか、ということについて、

筑波大学名誉教授の柳澤嘉一郎氏のお話がありました。

結論から言えば、どちらもあるということになるのですが、

遺伝子としては、動物が群れを作るようになったこと、

特にヒトではさらに複雑な社会を形成するようになった

ことと関連しているといいます。

一方で、ヒトの行動の基盤は脳の神経回路にありますが、

その回路網は環境によって変化し、特に胎児期と乳幼児期、

そして思春期に環境を受けやすくなるのです。

そういった意味では、東日本大震災は多くの日本人の

神経回路を変えるほどの変化でしたが、その中でも

もっとも大きく影響を受けたのは当時思春期であった若者たち

なのではないかと考えられます。

東日本大震災後の絆や助け合いの精神に影響を受けた

若者たちに期待したいところです。

 

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今回のエントリはここまでです。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!

それではまたお会いしましょう。