ホウ砂に吹かれて

コンサータ72mg男が書きたいことを書きたいときに書くブログ

仕事に夢をもとめない、だって。

 

 

日頃よりご愛顧いただき誠にありがとうございます。

ノロい人でございます。

今日の話なんですけど、会社の一年先輩とひょんなことから、

宝くじが当たったら仕事を辞めるか?という話になったんです。

こんなカンジで。

↓↓↓

先輩「X商会のYさん、宝くじ当たったら仕事辞めるって言ってたよ」

僕「でも、一億円当たったくらいじゃ怖くて仕事辞められませんよ」

先輩「ウチらの年齢だったらそうだよネ」

 

それで、「宝くじ当たったら仕事辞めるかどうかって何かで見たことある話だよな」

って思ったので、今回はそのことについて書いてみようと思い立ちました。

 

 

その「どこかで見たことある話」というのがこちらになります。

↓↓↓

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)

 

香山リカ先生の『しがみつかない生き方』にこんなカンジの話題が

出ていました。この本は僕が大学生のころに出た本なので割と古い

本なんですけどネ。時が経つのは早いモンです。

勝間和代女史批判で有名になった本ですよネ)

この本の第6章『仕事に夢をもとめない』の『宝くじで1億円当たったら

仕事をやめるか?』というところにこんなことが書いてありました。

(略)

そこで大型宝くじが発売される夏と年末には、いつも自分に問いかけてみることにしている。

「もしこの宝くじで1億円が当たったら、私は仕事をやめるだろうか」

 自分としては、「いや、私はお金のために働いているのではない。だから一億当たろうと一〇億当たろうと、医療の仕事を辞めることはない」という答えが、自分の中からわき出てこないだろうか、と期待しているのだ。

ところが、香山リカ先生はそんな答えが出てこないどころか、1億じゃなくて

5千万、いや1千万、って具合でどんどん仕事と引き換えになる金額が下がっている

ということでした。

 

1億円当たっても仕事を辞めるのが怖いなんて言っている僕とは大違いなんですけど、

よくよく考えてみると、香山先生と僕とは年齢がかなり離れているんですよネ。

あとは、香山先生は精神科医の仕事を辞めたって、いざとなれば本を書いたり、

テレビに出たりすればいいワケで、そもそもカネを稼ぎ出す力も雲泥の差なんです。

ハァ。

 

仕事にやりがいを感じている人の 働き方、考え方、生き方。

新品価格
¥1,296から
(2017/11/16 21:19時点)

 

また、香山先生が落ち度がないにもかかわらず、「医局長」から「ヒラの医者」に

降格になった際のエピソードにも触れておきます。

(略)

私としては何かアクションを起こす気にもなれず、そのまま勤務を続けた。降格になっても"パン代"としては十分な金額が支払われていたので、それ以上、望むことはなかったのだ。

(略)

しかし、「給料さえもらえればそれでよい、というわけではない。私は○○のために仕事をやっているのですから、それを認めてもらいたい」と抗議しようにも、「○○」に当てはまるものが何なのか、どうしてもわからなかったのだ。

僕も一応会社では、主任という役職を与えられて、役職手当も頂いているのですが、

この香山先生のエピソード同様、平社員に降格になって役職手当がなくなった

ところで、別に路頭に迷うわけではないので、特にアクションを起こそうという

気にはならないんだろうな、なんて考えてしまいました。

それと、「○○」に当てはまるものもよく考えてみると、そんなものはない、

…というのも少しさみしい話なので、何かないか一生懸命考えたんですけど、

月に1回くらい来社してくださるお客さんに居酒屋で奢ってもらえることくらいしか

思いつかず、我ながら「社会人としてどうなんだろう」なんて言うカンジで、

我が身が情けなくなりました。

ハァ。

 

幸せな人は「お金」と「働く」を知っている [ 新井和宏 ]

価格:1,080円
(2017/11/16 21:40時点)
感想(0件)

 

そんな情けない僕でも、仕事を辞めずに何とか働き続けているのは

香山先生の本の中の言葉を借りるとこんなカンジなんだろう、と思います。

↓↓↓

自分は目先の生活のためだけに仕事にぶら下がっているにすぎないのだな、とつくづく情けない気持ちになるが、逆に考えれば「目先の生活を何とかしなければ」という思いがある限り、私は働くのをやめることはない、ということだ。 

そうなんです。目先の生活。

正直なところ、僕には貯金なんて本当にスズメの涙程度しかないので、

目先の生活のために何とか働いているようなカンジです。

おクスリ代も稼がなきゃいけないし。

ハァ。

 

70歳まで働く週刊東洋経済eビジネス新書No.62【電子書籍】

価格:216円
(2017/11/16 21:51時点)
感想(1件)

以上、後ろ向きなカンジで話を進めてしまったんですけど、

これでも一応、生活にはそこそこ満足しているつもりですヨ。

書きたいことが頭に浮かんだら、このブログに書けばいいし、

音楽を聴きに出かけることもありますし、休みが合えば、

お酒飲みに付き合ってくれる友人もいますので。

 

ということで、今回はここまでにしたいと思います。

それではまた次回お会いしませう。

 

 

 

講評の書き方について

 

いつも大変お世話になっております。

ノロい人でございます。

今回は吹奏楽コンクールの講評についての内容になります。

吹奏楽に興味のある方はそのまま読んでいただいて、

吹奏楽なんてわかんないや、という方は、ブログや各種文章を

書く上で参考になるかもしれませんので、そのまま読んでいただき

たいと思います。

 

 

会社のお盆休みの時に、実家の自分の部屋を漁っていたら、

僕が小学生の時に購入した吹奏楽雑誌「バンドジャーナル」

音楽之友社)の1999年1月号が出てきまして、読んでいたら、

鈴木竹男先生の吹奏楽コンクールの講評についての記事に

関心を持ったので、ここでその内容を紹介してみたいと

思います。

 

その記事を書かれた鈴木竹男先生という方は、

吹奏楽の魔術師」とも呼ばれた方で、関西職場バンドの

雄であります、阪急百貨店吹奏楽団を率いてこられた偉大な

先生でございます。

(鈴木竹男先生についてはこちらのページも御覧ください)

↓↓↓

吹奏楽の魔術師 2005.4.6.: 橋本音源堂

 

さて、鈴木竹男先生の書いた吹奏楽コンクールの講評についての

記事の内容というのが、一言で言うと、

「審査員の先生方には、しっかりした

内容の講評を書いていただきたい」

ということを、具体例を交えて書かれていました。

ここから、その内容について紹介していきたいと思います。

 

1.モノは言いよう

「金賞を意識しての演奏で、冷たく、温かさが感じられない」

こういった講評を書いてくる審査員がいたようです。

いや~、なかなかキツい表現ですネ。確かに、審査員の立場としては、

点数稼ぎのつまらない演奏だったのでしょう。

それでも、鈴木先生は「コンクールに出て金賞を目指さないバンドはない」と

した上で、「金賞を目指すこと」と「音楽の表現力」は別の話であると問題を

切り分けています。

そのバンドの演奏が問題だったかもしれないことを認めつつ、

鈴木先生「審査員の文章力・表現力の不足」を指摘していました。

ちなみに、鈴木先生としては、

機械的で、感情が表現しきれない演奏」

という書き方であれば、関係者も反省・納得できるのではないかと

しています。

(僕もこの書き方であれば適切だと思います。激しく同意です)

 

 

2.ユーモアはほどほどに

鈴木先生は審査員のこのような講評の書き方にも苦言を

呈されていました。

「素晴らしいソロ!座ブトン3枚あげてください!」

スゴいですネ。別に僕は熱心な笑点大喜利の視聴者ではありませんが、

司会者が座布団3枚をあげているところなんてめったに見たことはありません。

よほど素晴らしいソロの演奏だったのでしょう。

しかし、鈴木先生の考えとしては緊張をほぐしてあげたいという、

審査員の配慮については一定の理解を示しながらも、このような表現は

コンクールの場には相応しくないとして、「素晴らしいソロでした」だけで

十分なのではないかということです。

(僕個人としては、別にこういった書き方でもいいと思うんですけどネ。

ホメられた側としても、「やったー、あのXX先生から座布団3枚ももらえた―」

ってカンジで嬉しいでしょうし)

 

 

3.書きっぱなしではなく、講評に教育的配慮を!

鈴木先生は審査員のこのような手厳しい講評にも意見を

述べられていました。

その内容がコチラです。↓↓↓

「どのように聴いてもチャイコフスキーの曲とは思えない」「作曲者がこの曲を書いた時、精神状態はかなり乱れていた。その異常さを演奏に表現すべきだろう」 

なかなか厳しい講評ですネ。このような講評に対して、鈴木先生

「けなす」だけで終わらない講評を、という風におっしゃっています。

では、「けなす」だけではなくどういったことが講評に求められている

のかというと、「どのようにすれば良くなるか」ということです。

どのように演奏すればチャイコフスキーの曲になるか、また、精神状態の不安定さ、異常さをどのように表現するのか、それを、指導助言してほしいのです。 

演奏に至らない点があれば、審査員として指摘するのは当然のことながら、

(プロのコンクールならまだしも、アマチュア相手に)講評の書きっぱなしは

よくないですよ、ということなのでしょう。

 

ちなみに、阪急百貨店吹奏楽団は1998年のコンクールでは、

チャイコフスキーの歌劇「雪娘」の「道化師の踊り」を

取り上げており、全国大会で金賞を受賞しております。

おそらく、先ほどの手厳しい講評はその年のコンクールでの

演奏に対して書かれたものなのではないかと思います。

全国大会で金賞を受賞するようなレベルの高い演奏に対しても、

あれだけ厳しい指摘がなされるというのは、僕にとって少し

驚きです。

指摘の内容も、「ピッチが合っていません」とか

アーティキュレーションが不正確です」というものであれば、

どうすればいいのかは大体分かりますが、

チャイコフスキーらしさ」とか「精神の不安定さ、異常さ」なんて

ことを言われたって、大半のアマチュアにとってはお手上げに

なってしまうでしょう。

しかし、「チャイコフスキーらしさ」とか「精神の不安定さ、異常さ」を

どうやって表現するかを講評に書くというのは、審査員にとっても

なかなかハードルが高い内容なのではないでしょうか。

 

 

4.生命を与える講評を

鈴木先生

「コンクールに出るのは、生命をカンナで削るようなものだ」  

という言葉を、とある指導者の言葉として紹介しています。

必死に練習に取り組んできたバンドのメンバーにとって、

落胆・失望の涙にくれるだけでなく、

(コンクールでは「全国大会金賞」という最高評価を得られない

バンドの方が圧倒的多数なワケですからネ)

次の目標に向かって、新しい力が湧くような講評をお願いしたいと

鈴木先生は締めくくっておられました。

 

 

ということで、長くなってしまいましたが、この鈴木竹男先生の記事が

僕の中ですごく印象に残ったものですから、ここで紹介させていただきました。

僕が吹奏楽コンクールの審査員をやるなんてことはまずあり得ませんが、

これからブログを書いていくとき、何かを評する時にこういったことに

気をつけていきたいと思います。

 

ここまで、長いエントリにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

それではまた、お会いしましょう!

See you again !

 

生徒が担任を土下座させた話

 

 

いつも大変お世話になっております。

はてなブログで書いております、ノロい人でございます。

この記事を見に来てくださり、誠にありがとうございます。

今回のタイトルがちょっとアレなんですけど、

僕が中学校1年生の時にクラスであったことを

今回は書いてみようかと思います。

あっ、あとこのタイトルのことなんですけど、

「教師が生徒を土下座させた」ワケではなく、

「生徒が担任を土下座させた」話なんです。

決して間違いではありません。

 

 

 

 

僕が通っていた中学校のことなんですけど、

僕の学年だけかもしれませんが、今でいう

DQN”に相当する生徒が割といて、僕の感覚では

1つのクラスに4~5人はいたように思います。

そんな状態でしたので、僕の隣のクラスでは、

生徒が担任をいじめて、入院、そして担任の交代に

追いこんだり、朝学校に来たら、学校の窓ガラスが

割られていた、なんてこともありました。

 

ですが、DQN生徒がハバを聴かせていた一方で、

校長会テスト(市内?だか、県内?一斉テスト)を

やれば、隣の中学校に平均点で(5教科500点満点で)

100点ほど差をつけて勝ってしまう学校でもありました。

一定数のDQN生徒と引き換えに、一定数の優等生も

ちゃんといる、格差の大きい学校(学年?)だったように

思います。

(ちなみに、僕はDQN生徒でもなければ、優等生でもない

中途半端な生徒でした)

 

僕が中学1年生の頃にいたクラスも多分にもれず、

DQN生徒が担任のことをいじめていました。

ある日、担任(アラサー女性体育教諭)が

朝の会(朝礼みたいなモンです)でDQN男子生徒に

シャカシャカ(ウインドブレーカ?)を穿いたまま

挨拶してはいけない、というカンジの注意をしたことが

あったんです。

そうすると、そのDQN男子生徒は担任もシャカシャカを

穿いていたことを見逃さずに、「先生だってシャカシャカ

穿いてんじゃん」と反論したんです。

それに対し、担任は「私はこの下には下着しか穿いて

いないから脱ぐわけにはいかない」と言い、とりあえずは

そのDQN生徒を黙らせました。

 

ウィンドブレーカーパンツ アディダス adidas ESSENTIALS カントリーシリーズウインドブレーカーパンツ 裏起毛 メンズ ナイロン ロングパンツ スポーツウェア ランニング ジョギング トレーニング ウェア 2017秋冬新作

価格:5,160円
(2017/11/12 22:42時点)
感想(0件)

しかし、その後の体育の授業で女子生徒がその担任が

シャカシャカを脱ぐところを見ており、その下には

ちゃんとジャージを穿いていたというのです。

この話を聞いたDQN生徒は帰りの会で、担任に向かって

ウソをついていたことを責めだしました。

そのうちに、そのDQN生徒およびそのDQN取り巻きたちが

担任に向かって「土下座コール」を始めました。

それには担任も反論することが出来ず、なんと本当に

土下座をしてしまったんです。

 

その光景を目の当たりにして、

僕は「本当にこんなことがあるんだ!」と衝撃を

受けたことはよくよく覚えています。

それ以来、DQN生徒の担任に対するいじめは

エスカレートし、ちょくちょくタバコ臭い、

DQN上がりと思しき学年主任の数学教師が

(僕はこの学年主任が大っ嫌いでした)

見張りのためだと思うのですが、朝や帰りの会

ときに顔を出すようになってしまいました。

 

その手抜きが荒れをまねく―落ち着いているときにしておく生徒指導

新品価格
¥1,620から
(2017/11/12 22:54時点)

今回このエントリを読んでくださった方々の中には、

「うちの学校なんてもっと荒れていたよ」と言いたい

方もいるかもしれません。

それでも、中学生の頃の僕には衝撃的な出来事でしたし、

自分が当時のその担任の年齢に近づいて、思うところも

ありましたので、今回の内容として書かせていただきました。

 

我こそは「うちの学校はもっと荒れていた」言う話を

してもいい、という方はブックマークのコメントか何かで

教えていただければ幸いでございます。

 

ということで、今回はここまでにさせていただいて、

お先にドロンしたいと思います。

それでは、またお会いしましょう!